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2010年07月23日
『Bluetooth』日本を「世界の孤児化」から救った男
通信技術本部
ワイヤレス・コンピテンシ・センター
シニアエンジニア
遠藤 千里(Chisato Endo)
インテル株式会社の遠藤千里(ちさと)氏は、日本の『ブルートゥース』担当者として、当初から世界の『ブルートゥース』関与者達と積極的な討論を戦わせてきた重要人物である。日本は何かと法的に特殊な国で、海外標準と外れた規格が結局まかり通ってしまいがちであることは周知の事実。『ブルートゥース』のような全世界同一規格を立ち上げるとき、果たして日本はきれいに足並みを揃えることができるのか? 大丈夫。実は遠藤氏の苦労があってこそ、日本はこの世界標準規格の恩恵を供することができるのである。『ブルートゥース』に汗だくで携わる遠藤氏の苦労を追う。
遠藤 『ブルートゥース』は、今まで有線で行っていた周辺機器接続を無線で代替しよう、という発想で作られた規格です。『ブルートゥース』自体が従来のケーブルの差込口と接続ケーブルに置き換わるのだと考えて下さい。基本的にUSBケーブルでつながる機器なら将来的に『ブルートゥース』を使って全て接続できる見込みです。さすがに電源供給用のケーブルは無くすことはできせんが、それ以外のケーブルは一掃することができるでしょう。例えば新幹線の中からメールチェックを行いたいとき、ノート型パソコンとつないだ携帯電話端末の置き場に困り、狭い新幹線の座席で格闘した経験はありませんか? 『ブルートゥース』なら、あのうっとおしさを解消することができます。ノート型パソコンを取り出し、メール受信操作をするだけで、胸ポケットやかばんに入れた携帯電話端末を通じてメールチェックを行うことができるのです。
遠藤 機器同士の無線接続は赤外線通信で可能ですが、赤外線には直進性があり通信する機器同士がかなり厳密に対面していないと通信することが難しいのです。『ブルートゥース』なら10m以内であれば多少障害物があっても通信できます。例えばかばんの中に入れっぱなしのパソコンと通信を行ったり、少し離れた場所にあるプリンタで印刷を行ったり、というようなことが簡単になります。その他にも、デジタルカメラとパソコンの接続、ヘッドフォンとポータブル音楽プレーヤーの接続……など、いろいろな場面で有線での接続が不要となります。
遠藤 『ブルートゥース』のチップ全体の原価はまだ少々高いですが、これが1チップ化され大量生産によって数ドルまでに下がれば、おそらくゲーム機のような低価格の商品にも搭載されるようになるでしょう。
遠藤 『ブルートゥース』は10世紀頃デンマークとスカンジナビア半島を統一したと言われるバイキング王の英語表記名です。『ブルートゥース』プロジェクトの当初からの参加者にエリクソン(スウェーデン)とノキア(フィンランド)という北欧勢がいたことと、彼ら携帯電話端末メーカーと他のパソコン関連機器をつなぐ、という意味をこめてつけられた名前です。
遠藤 もともと『ブルートゥース』のアイディアは、エリクソンとノキアという2つの携帯電話端末メーカーから生まれたものです。当時音声中心だった携帯電話端末は、将来的にはW-CDMAのように広帯域の通信に中心が移ることがわかっていました。次世代の携帯電話では、音声の通話だけでなく、広大な帯域を活用して、より高度なデータ通信を実現しようと、多くの人が考えていたからです。そこで携帯電話端末とパソコンなど他の機器を簡便につなぐ方法が必要となりました。しかし有線では利便性に限界があります。だから『ブルートゥース』の開発が望まれたのです。
遠藤 当初、エリクソン、ノキア、インテル、IBM、東芝の5社で設立された『ブルートゥース』のプロジェクトですが、Webサイト(http://www.bluetooth.com/)を見ていただければわかります通り、4月初めの段階で1,667社が参加するまでになっています。プロジェクトの団体は『シグ』(SIG = Special Interest Group)と呼ばれ、当初の5社にスリーコム、ルーセント・テクノロジー、マイクロソフト、モトローラを加えた計9社が『プロモーター』として中心的役割を果たしています。団体そのものはまだ法人組織ではないので、上記のサイトの所有者は、今は暫定的にエリクソンとなっています。
インテルは、マイクロプロセッサを含めた次世代コンピュータのプラットフォームを提案し、ソリューションを提供していくメーカーとして、彼ら携帯電話端末メーカーと他のハード機器メーカーを橋渡しする重要な位置にいます。そういう意味ではインテル自体が『ブルートゥース』そのものと言えるかもしれないですね。
遠藤 技術そのものは『シグ』との契約のもとでロイアリティーフリーで利用できます。従って、『ブルートゥース』の技術を自社の製品に利用したい企業は、必ず『シグ』のメンバーにならなければなりません。この手続きは上記サイトから担当者へコンタクトすることで進めることができます。ただし、プロモーターの9社のどこかが『ホスト・カンパニー(後見人)』となることが必要で、プロモーターの推薦という形をとることになります。
遠藤 私はもともと無線についての研究をある企業で7年ほどやっていたのですが、業務用途が中心だった無線通信をぜひコンシューマー(消費者)に広めたいという思いが強くなって、3年前に『ホームネットワーク』というコンセプトでワイヤレスLANの普及に力を入れようとしていたインテルに入社しました。しかし、残念ながら当時はまだ一般消費者が簡単に使え、安価かつコンパクトに行える適当な技術がなかったのです。それが携帯電話とノートパソコンの普及で簡単に使える無線通信への要求が高まってきました。『ブルートゥース』のプロジェクト入りを打診されたときは「これだ!」と思い一も二もなく参加しました。1997年の夏だったと思います。
遠藤 『シグ』のとりまとめは『プログラム・マネージメント』というグループが行っており、その下に『アーキテクチャー・レビュー・ボード』『マネージメント・サービス』『マーケティング』『レギュレイトリー(法規制)』などというグループが存在します。『アーキテクチャー・レビュー・ボード』の方は、画像・音声・印刷……など細かく担当を分けて仕様を検討していきます。私の属しているのはの『レギュレイトリー(法規制)』グループで、この中の日本担当をやっています。このグループは主に4つの担当があって、『日本』『日本以外の全世界』『航空』『セキュリティ』というふうに分かれています。これを見ればいかに日本が法的に特殊な国なのかおそらくおわかりいただけるでしょうね。
遠藤 基本的なコンタクト手段は電子メールとなりますが、週1回必ずチームごとで電話会議を持っています。決まった時間にセンターに電話すればそこでメンバーを一つの回線につないでくれて、それぞれが自由に発言できるようになっています。使用言語はもちろん英語です。残念ながら表情はわかりませんが、声を通してだけでも十分密接なコミュニケーションが図れることと、電話であれば世界のどこの場所にいても大抵通じるということもあり、こういう方法を取っています。ただし、どうしても欧米中心の時間設定になりがちなので、日本から参加する私にはかなり不利な時間になることが多いです。大部分は深夜から開始です。さすがに毎回参加するのは難しいので、適時出席することにしています。この他にも3ヶ月に一度どこかでフェイス・トゥ・フェイスのミーティングをすることになっています。このように電子メールと電話を駆使してコミュニケーションを図っています。
遠藤 『ブルートゥース』が使うことになっている2.400~2.438.5GHzの周波数帯は、実は日本国内で現在割り当てられている2.471~2.497GHzの周波数帯と一部重なりながらも多少ずれています。初めは日本国内で使用する場合だけスイッチで周波数帯を切り替えるような余地を残しておけばよいという考え方をしていたのですが、よく調べてみるとアメリカの法律に「ユーザーが、法律上使用してはならない周波数に設定することが可能な機器はアメリカ国内で販売してはならない」という決まりがあって、日本仕様への切り替えスイッチを機器につけることは許されなくなりました。モバイル機器業界から見れば日本は非常に大切な市場ですから、無視するわけには行きません。ですから、おそらく日本の法律を変えた方が他の全世界の仕様を変えるより簡単だろう、ということになったのです。1997年の秋のアトランタでの会合でしたが、「それではインテルに遠藤という男がいるから、彼なら適任」ということになり、法律を変える働きかけをする役目に指名されてしまったのです。それがそう簡単でないことはおいおいわかっていったのですが・・・。でも実はもともと理不尽なものには立ち向かいたくなる性格なので、適任だったのかもしれません。
遠藤 『ブルートゥース』という仕様について発表されたのは1998年5月のことです。その同時期、郵政省の通信に関する管轄部門でも、海外との規格の違うことについて「これではいけない」という意見が出てきたようです。1998年3月に『社団法人電波産業会(ARIB)』という国内の無線に関する標準仕様を取りまとめる団体が検討を開始しています。その動きを察知してまず彼らに働きかけ、徐々に『ブルートゥース親派』を作っていきました。当然既存の権利を主張して反発するメーカーも出てきましたが、世界の孤児になることの危機感の方が勝っていました。その点、私がインテルという既存の権利者にとって中立的な立場だったことが有利に働いたと思います。最終的には周波数に関してなんとか規制緩和することが決まりました。こうして最初の障壁は乗り越えたのですが、その他にさまざまな問題が起こりました。例えば、従来の日本の規制に従えば『ブルートゥース』では本来考えていなかった仕様が必要でした。それは、電気通信事業法施行規則の「端末設備等規則」に記載されているのですが、携帯電話など公衆電話網につなぐ機器へ内蔵する『ブルートゥース』のような無線デバイスには必ず日本特有の機能(「キャリアセンス」といいますが)を実装しなければならないという決まりがあるのです。これを遵守しようとすると、日本ローカルな『ブルートゥース』になってしまいますし、さらには、これに適合しないと『財団法人電気通信端末機器審査協会』(JATE)が認定する通信機器となりません。それで今度は、JATEと根気よく議論を行い、関連する産業界からの代表を交えた検討委員会を設置してもらいました。ここでの検討の結果、最終的に『ブルートゥース』が本来持っている機能でそれを代替しても良いという項目を盛り込み、郵政省令の条項改定を発令していただくことができました。
遠藤 普通なら、このような団体での折衝は大概メーカー同士の対立になりがちだと思うのです。その点、私の場合外資系である上に半導体メーカーとして多くのメーカーとお付き合いする第三者的立場にあったので、機器メーカーの一社が同じ動きをするよりはずっと旗振り役に適していたのでしょう。
遠藤 すでにメーカー向けの評価キットは発売されていますので、それを使って現在各メーカーで多くの製品が開発途上にあるでしょう。おそらく夏ごろにまずはエリクソンがヨーロッパを中心にヘッドセット(ヘッドフォン+マイク付きのリモート携帯管理デバイス)のような携帯電話ツールを出してくるのではないでしょうか。また来年春には、標準インターフェースとして『ブルートゥース』を搭載したW-CDMA携帯端末が出てくると思います。日本ではもしかしたらデジタルカメラや音楽プレーヤーなどで何らかの動きがあるかもしれませんね。
製品化が始まるずっと前からこれだけ多くの企業に指示され、業界のデファクトスタンダードになる規格も珍しいと思います。それはおそらくコンセプトそのものが、皆が納得して受け入れられるものだったからに違いありません。いろいろ苦労しましたが、今年はやっと最初の製品が商品化されます。もうすぐですので、楽しみにお待ち下さい。
投稿者 youko : 2010年07月23日 10:14